ラベル

2016年9月30日金曜日

9月30日のマナカード*

人を許し
自分を許しましょう
あなたの中にある
こだわり
完璧主義が
許せないという気持ちを
生みだしているのかも
人は不完全であって
だからこそ素晴らしいのです
意外にも
自身の力の
限りを知ることが
自分に自信をもつことにも
つながり
新たな可能性も
生まれてきます
強い人と言うのは
弱さを認め許せる
人のことです

2016年9月29日木曜日

9月29日のマナカード*

新しい旅はもう
始まっています
出遅れたと
思わないで
あなたがつまずいた時は
誰かが気付いてくれて
助けてくれたり
見守ってくれたり
またあなたも
誰かのために
同じことが
できるのです
今までも
そうだったけど
これからは
よりそう感じながら
山あり谷あり
途中で
何に遭遇するかも
分からない
それすらも
みんなと一緒に
楽しめる
そんな旅を
続けていきましょう*

2016年9月28日水曜日

9月28日のマナカード*




あなたもムリをせず
相手にもムリをさせない
ちょうど良い距離感をもった
付き合い方というのを
やっとつかみ始めて
いるでしょう
まったく同じ色に
染まらなくても
同じように感じなくても
違うから
分かることもあるし
心地よかったり
助かることもある
ただ今まで
恵まれていたことに
感謝さえすれば
あなたのやり方で
好きなように
人々と関わり
好きなことを
やっていって良いのです
まずあなたが
素直にのびのびと
自分を出し
愛をもって
周りに心を開けられるなら
形などにこだわる必要は
ありません
もっと自由に
楽しんで
やっていきましょう

2016年9月26日月曜日

9月26日のマナカード*

新しいことを始めるにも
これまでのことを続けるにも
今までとは違うアプローチ法を
求められるでしょう
自分を深く知り
知った上で自分を
手放すことも
必要です
これからは
自分だけではない
世界に生きていくのです
今のあなたを
形作っているのは
今までの経験や
人間関係ですが
そこにはいつも
愛があったということを知り
ただ感謝しましょう
そうすることで
自分のエネルギーの
矛盾する部分や
扱いにくい部分も
うまくコントロールして
いけるでしょう

※ちょっと今日はマニアックな占星術の話です。
内容マニアックで分かりにくいわー、という方もいるかも。
私も詳しくありませんし、そこまで深く説明するとさらに長くなってしまうため、分かりにくい点はご了承くださいm(_ _)m

占星術では今「天秤座」が大きくクローズUPされています。
太陽が天秤座に入ったし、ラッキースター・木星も9月9日に乙女座から天秤座に移りました。
占星術ではそれぞれの星座を人生の旅、その間に起こる課題になぞらえて考えたりします。
「牡羊座」から「乙女座」までは、「この世に生まれおち、自己を確立するまでの旅」、そして「天秤座」から「うお座」までを、「社会に出て他者と出逢い、社会の中での自分の活かし方を確立する旅」になぞらえているそうです。
ひとつ前の乙女座は「きちんとする、自己管理」などがキーワード。
ですが、柔軟宮というグループに入っていて、他者に合わせて自分を調整するために、自己を打ち出すのはニガテという特色があるとか。
木星は1年間ひとつの星座にとどまり、その星座のパワーの恩恵を受けられるようにするため、その星座の特色をクローズUPさせ、それがその星座の持つ課題に取り組む力を与えられるともいいます。
木星が乙女座にあった9月9日までは、社会で他者と協調しながら自分を活かして生きていくために、きちんとする、セルフコントロール力を身につける、というお勉強期間だったのかもしれません。
ですが、先ほど話した柔軟宮という特色の為、プレッシャーを強く感じる割に、感じるゆえなのか、動けない、迷いやすいという状態に陥りやすい人も多かったかも、ということを最近聞きました。
木星も太陽も天秤座に移った今、天秤座は「活動宮」グループにあたる為、プレッシャーから解放されて自由に動きやすいと感じやすくなるのでは、とのことです。
星の動きがどうだから…とばかりいうとまるで星のせいにしてるみたいかも、気をつけなければな~f^ ^と思いますが、私自身確かに最近なんだか少しプレッシャーから解放されて、自由に動けるようになったような、開放感を少し感じています。
やはり人の営みも宇宙の流れのひとつ、星の動きと連動してても何ら不思議はないのですね。

反面、天秤座は乙女座とはまた違うプレッシャー・課題をもたらしてくれます。
天秤座は社会に出て初めて出会う他者との関係、パートナーシップを表すとか。
木星が天秤座に入ったため、パートナーシップが広がる一方、何らかの責任を問われる場面が出てきたり、他者との関係に関する課題が出てきやすい時期に入るとのことです。
さっそく、その影響を受けている話を何度か聞いたりしています。
課題は解決するために起こる、起こるということは解決し、先へ進む力があるということ。
そうはいっても、渦中にいる間は大変で、痛みを伴うこともあります。
どうかすべては良き方向に向かうためのものと信じて、また周りにも支えられていることを感じて、乗り越えていきたいですね*

私自身も、木星天秤座入りの何ヶ月か前から、他者との関係に置いて自分の行動や選ぶことに対する責
任を感じたり、問われる場が増えてきたように思い、これは「決断する」ということがニガテな私の課題なんだなぁ、と感じています。
※決断する前に、真摯に向き合う、というのが大事なんだなと思いますm(_ _)m
その天秤座に対して、おもしろい見解を友人から聞いて印象的だったので、お話ししますね~^ ^

天秤座の天秤は何を計るためのものか?
よく正義を計る、正しい間違ってるをジャッジするためと聞くけど、本当にそうなの?
天秤座はまた「公平であり、公正である、協調的である」ことを良しとする特徴があるとも言われています。
誰に対しても優しい笑顔で、友好的に接しようとする天秤座。
それは本来の力が発揮されれば、世の中をうまくいきていくための単なる処世術や、嫌われたくないという八方美人意識からくるものではありません。
Facebookでのみんなの投稿、あれは良くてこれはまずい、ではなく、みんなそれぞれ違う良さがあるから「いいね!」と押すようなものではないか、と友人は話していました。
「みんな違ってみんないい」 (大好きな金子みすゞ様の名言をお借りしました。)を体現しているみたいですね。

心が広いといえば受容的ですべてを許す魚座とよく言われますが、天秤座の心の広さはまた少し種類が違う気がします。
物事の公平さ、公正さ、ジャッジする目はもっているけど、それを裁くためではなく、、混乱の中から混乱を抑えるためではなく、その状態を、それぞれの個性や違いを活かすためのルールを見つける、みたいな心の広さ。
扱えるまでには時間がかかりそうだけど、そういう力を養い、人と繋がり自分を活かしていくための時期に入った、とも言えなくはないでしょうか?

占星術の話ばかりしているので、今日のマナカードとトートタロットの紹介をf^ ^
今日のマナカードは「LEHUA」:イニシエーション、「KANE」:創造
トートタロットは「女帝」:愛、豊穣、受容、「ソードのプリンセス」:実際的思考、管理、アイディアの具現化、行動力
それぞれ相反するエネルギーのカードですが、自分の中にある二面性、世の中の相反する流れを交わらないものと見るのではなく、互いに影響しあう必要なエネルギーとみなし、活かす力を養う。
まさに天秤座的*

まだまだ自分も使いこなせませんが、1年後、少しは使えるようになっているかな?
そう思って木星天秤座時代を楽しみに過ごせますように*

2016年9月25日日曜日

9月25日のマナカード*

どんなに心が揺れても
どっしりと構えた
大木のような
自分を意識して
あなたの心の責任は
あなたが取れるように
ただ自分を
信頼してください
そこから
あなたが作りたい
物語も
始まります

2016年9月24日土曜日

9月24日のマナカード*

今まで大切にしてきたことを
選んだことを
継続すること
あるいはすべて
ひっくり返すこと
やり方、方向性を変えること
どちらも間違いではないのです
あなたが意思をもって
意識的に選ぶなら
選べなかったことがあるとしても
大切なのは何を選んだかではなく
選んだ道をどう生きるかでしょう

最後の言葉は60年代フランス映画を代表する人気女優ブリジット・バルドーさんの名言を参考にしてしまいましたf^ ^
(※以下、人物について敬称を略したり、個人的見解も入ってる発言がありますが、ご了承ください。)

今の若い人はもしかして知らない人も多いでしょうか?
「BB」(べべ)という愛称で親しまれ、抜群のプロポーションと小悪魔的な魅力で世の男性と女性の憧れを一身に集めたブリジット・バルドー。
当時ハリウッドで活躍していた「MM」=マリリン・モンローと並んで、セックスシンボルと謳われた方でもあります。

若い時はセクシー系ってあまり興味がなくって(やっかみ?…ではないつもりです。潔癖だったんだと思いますf^ ^)、清楚エレガンス系のオードリー・ヘップバーンやカトリーヌ・ドヌーブの方が断然好きでした。
BB主演の映画を観たのは、だいぶ大人になってからですが、その時も映画の内容はあんまりピンとこなかったけど、彼女の魅力にすっかり魅了されてしまいました。
彼女は家柄や育ちも良いし、さらにこのルックスをもって生まれたら、人生思い通りだろうな~と、ちょっと浅はかなことを思ってしまったりもしました。
最近また彼女主演の映画を再度観て、また彼女の私生活なども知り、当たり前なのだけど、人の幸せは「生まれや育ち、才能、ルックスなど持って生まれたものだけで決まるということは全くない」ということを再認識しました。

映画で演じた役同様、奔放で華やかな恋愛遍歴の持ち主ですが、あっちがダメになってもすぐこっち、モテる人の感覚ってあまりよく分かりませんでした。
どんな恋愛観をもって、どんな人生を送っていようが、本人の自由だと思うし、私はそういう人ってその生活を楽しんでいるんだと思ってました。
ですが、ブリジット・バルドーはそのモテ過ぎる人生を必ずしも謳歌していたわけじゃない、強気で奔放な発言から垣間見える不安や心もとなさ、傷や後悔なども少なからずあったと思います。
彼女主演のいちばん有名な映画「素直な悪女」を初めて観た時、これ思いっきり男性視点の男性の女性観の映画で、女性から観ると突っ込みどころ満載(笑)と思っただけなのですが、再度観て、BBが一見自由奔放に振る舞いながら内側の淋しさや不安、愛を信じたい、安定も本当はしたい、という気持ちを見事に表現していて、「すごい!!」と思いました!!
演じているというより、おそらく彼女そのものの役だったのかなぁ?

どんなに恵まれていて、どんなに幸せに見える人も、本当にそうなのか分からない。
「見える」ことだけが真実ではないということ。
どんな人生にも奥深さや味わいがあり、後悔することもある。
けど、「何を選んだかではなく、選んだ道をどう生きるか」
小悪魔的発言が多いBB様の真に言いたいことは、この言葉だったのではないかと、思いたい私です。

あぁ、それにしてもBBのファッション、ヘアスタイルかわいい♡
最近ちょいロリータに目覚めた私には、年齢、スタイルを無視して、ちょっと憧れ(笑)



「謙譲語」、間違って使ってませんか?

昨日(9月23日)のマナカードですが、ひいた時はピンとこなかったけど、後になって気付いたことがあったので投稿してみました。

昨日のメッセージにはあまり含まれていなかったのですが、実はひいたカードの中に「IWI」(イヴィ)というカードがありました。
意味は「尊重」。自分も他人も尊重しましょう、という意味です。
私たちが普段使っている日本語で、相手への敬意を表すために使われる用法の一つに「謙譲語」というのがあります。
皆さんご存知と思いますが、「謙譲語」は自分を下げることで相手を敬う気持ちを表す用法。
正しくは、自分を下げるといっても自分の価値を下げてる訳ではなく、自分の行為を下手に置く、一歩下がる、ということだと思いますが…。
これ多分外国人とかには理解しづらい用法だと思います。
(と言っても、どこの国でも上流社会では使っていたんでしょうね。19世紀のイギリス貴族社会の文学とかに触れると、本当に普段の会話がそんな感じ…)
相手を敬ったり、引き立てるのに、なぜ自分を一段下げないといけないのか?と思う人も多いかも。
もちろん、「自分は若輩者で、あなたの足元にも及びません。」と思っている時は、自然と本気でそんな態度になるでしょうし、出会う人や起こる物事はすべて自分の師匠なのだから、いつもそんな心持でいましょう、という教訓かもしれません。
でも私たち日本人は、日常的にこの「謙譲語」的な言動、態度が染みついていたりしますね。
現代の一般人の私たちにも染みついているこれが日本人特有の文化だと思うし、「日本人はなんて謙虚な人たちなんだ!」と海外の人に感嘆される所以でもあると思います。

でも心から自分は大したことがない若輩者でして…と思っているというより、もう習慣・文化として染みついている。
もっと言うと、それが社交辞令、処世術だからやってる(しかも染みついているのでやってる時はわざわざそこまで考えていない。クセになってる)場合も多々あります。
そして、相手を立てることは自分を下げること、と思いこんでしまって使っている人もいると思います。
この考え方は自然なようでいてとても不自然です。
なぜ相手を立てるのに自分を下げないといけないの?
逆も然りです。
この不自然なことを自然にしてしまう私たち。
元々はそういうつもりで生まれた文化ではなくても、「つい人と比べて、自己を尊重できない」「自己を尊重できないから他者も尊重できない」ということにも繋がりやすく、場合によるとALOHAとはほど遠くなりやすいという危険性を秘めているように思います。

本来人の個性はみんな違うし、個性が違うと発揮できる場所も違うので、比べらるものではないと思います。
でも私たちは比較対象が欲しくて、この部分はあの人に負けてる、勝ってると比べてしまうのですね。
そういう形でプライドを保とうとしてしまいやすい社会なのかも。
尊重するというのはプライドも大きく関係しています。
相手を立てるために自分を下げるような発言をしてしまった時、モヤモヤしてしまうのは、その行為が自分で自分のプライドを傷つけているからかも。
また相手に好意をもっていたり、気に入られたい気持ちがある時も、無意識に自分を下げるような発言、行動をしてしまうのもありがちです。
でもそんなあなたの振る舞いに、果たして相手は本当に感謝したり好意をもってくれるでしょうか?

プライドが高いと言われがちな人は、実は自分のプライドを傷つけてもいます。
頭では分かっていても、「本当のプライド」を保つことは難しい。
いかに自然体であるか、素直であるか、今の自分を過大評価も過小評価もせず、ただありのまま認めて、それを尊重できているか。
あなたは自分にちゃんとしたプライドをもっていますか?
あるいは必要のないプライドで自分を守っていませんか?
と問いかけているカードでもあります。

あなたも素晴らしく、私も素晴らしい
Win Winの関係、意識をいつも持てると良いですね♪

2016年9月23日金曜日

9月23日のマナカード*

静と動の葛藤の
エネルギーが
もたらすバランスが
新たなものを
生みだします
自分の内なる世界を
見つめ
探求することと
外に現実的な
アクションを
起こすこと
そのどちらもの
エネルギーの
バランスを
遊び心をもって
探していきましょう

2016年9月22日木曜日

9月22日のマナカード*



本気で生きましょう
あなたの情熱は
あなただけのもの
内から湧き上がる
思いを
エネルギーを
否定しないで
そのまま
素直に
まっすぐに
放ちましょう
一瞬一瞬を
あなたの色に
染めるために
全力で生きましょう

今朝ふしぎな夢を見ました。
自分が死ぬ夢です。
ひと月ほど前にも自分が死ぬことになっているという夢を見ました。
その時は不治の病に侵されていて、余命少ない状態。
もう仕方がない、という諦めの気持ちと同時に「死にたくない!」という強烈な欲望が出てきて、あまりに鮮烈過ぎて、目が覚めても夢うつつの区別がつかなかったほどでした。
今回はもう死んでて、幽霊になっていました。
土砂崩れか何かに巻き込まれて、体が見つかってないらしいです。
親しい人や知人の中には、私が見える人もいて、話すこともできる。
でも触れることができない。
近くにいるのに住む世界が違って、もうここから離れないといけない、というなんとも悲しい気持ち。
お迎えの人らしいのも来てますが、なぜか葬儀屋さんみたい(笑)
スーツ着てて事務的な感じ。
その時になって私は「まだこれでは終われない!」と思うのです。
「私は自分の人生を生き切っていない。まだやることがある!」と
「まだ体が見つかってないから、死んだと決まった訳じゃない。探してくる!」とハッキリ言い切る私。
今この段階になってやっとヤル気が出ますかf^_^;
この夢も鮮烈な印象で、起きてしばらく夢うつつの区別がつきませんでした。

「本気で生きてますか?」と聞かれて、「はい!」とまっすぐ答えられる人がどれくらいいるでしょう。
本音や胸の内の熱い思いを隠し、漫然と毎日を過ごしてる方も多いと思います。
最近またモヤモヤしてたのですが、この夢を見たおかげで私もその一人だ、と気付かされました。

「私はいいです。」と言ってしまうクセが未だにあります。
食べたいものや欲しいものがあって早い者勝ちだとしても、友達と好きな人がかぶってしまった時も「私はいいから」とつい言ってしまうタイプ。
揉め事がニガテだし、体裁や周りとのバランスも気にする月星座天秤座T_T
でも本当にいいと思ってたらいいけど、本当に思ってる?
勝ち負けじゃなくて、今その時の気持ちに蓋をして生きてると、こんな風に手遅れになっても知りませんよ、ということかも。

あなただけの情熱をしっかり認めて放出しましょう*
どれだけ情熱を傾けたかで、人生の中身の濃さは全く変わってくるのです。

2016年9月21日水曜日

9月21日のマナカード*

自分の感情や欲を
否定せずに
認めましょう
それらは抑えれば
何か別の時
思いもよらない形で
表に出てしまうことが
あります
自分の見たくない
認めたくない
感情は
敵ではありません
あなたから
生まれ出たもので
どうコントロールするかは
あなた次第
あなたが持ち主なのですから
扱えないわけは
ないのです
もっと自分の感情や欲に
素直になって
受け止めてあげましょう
エネルギーを抑制せず
認めてあげるだけで
自分で思っている以上に
それらはあなたの
大きな味方に
なってくれます

ヨガの勉強をしていると、最初の頃はどうしても感情や欲って悪いものだと思ってしまいますよね。
自分が、自分がになっている時の自分の醜さといったら…と、否定したくもなります。
けれども感情や欲は、ある意味その人自身がもつ純粋なエネルギー。
イヤに思えるのは、おそらくそれらを否定して抑えてしまっているから、表に出てきた時ゆがんだ形で出ているように見えるのだと思います。
あの人がこうしたい、こんな生き方が良いと言っても、果たしてそれが本当に自分にとっての幸せなのか?
これがいいよー、と聞いたり、周りがやっていることをしてみても、あるいはそれをしようと想像しても「腹に落ちる」感覚での幸せとか、納得が得られない場合、必ずしもそうではないかもしれません。
自分の感情や欲を一度出してみるだけで、場合によってはしっかり見つめて受け止めるだけで、それが本当に自分の求めるものか、一過性のものなのか分かったりもします。
受け止めず否定していては、いつまでその感情や欲に振りまわされてしまうけど、一度ちゃんと受け止めるだけで、最初は難しくても自分にとって必要な地に足のついたエネルギーなのか、だんだん分かってくるようになります。
例え一過性のものや惑わされていただけだと分かっても、それも自分には必要なことだったと認められ「ありがとう」とともに手放すこともできるようになります。
自分の感情や欲を恐れずに。
それらはモンスターではなく、あなたを本当の幸せに導くために存在しているのですから。


2016年9月20日火曜日

9月20日のマナカード*

人は夢をみないと
生きていけませんが
夢ばかりみていても
生きていけません
不安や痛みを
幻想や気晴らしで
紛らせてはいませんか
あなたの心からの
声を聞き
ヴィジョンを
現実化するための
アクションを
起こしましょう

台風の影響がかなり出ていて、外出するのはツライ気候ですが、台風の時家にいるのはキライじゃないです。
むしろ楽しかった。子どもの頃とか。
サバイバルアクションっぽい非日常的光景を楽しみつつ、自分は安全なとこにいる物見遊山的感覚?
なんてお気楽な、って感じですけど、ここ最近話した数人と同じような話をしました。
みんな同じやん(笑)
台風とかイヤですけど、きっとこれも必要だからくるんでしょうね。
ちょうど渦中の時って、人生でも困難に出会って混乱している時期に似てます。
右も左も分からない。
でも進むしかない。
あるいは落ち着くまで待ったり耐えるしかない。
過ぎ去って晴れた時、空気が一新して清々しいのとともに、自分の気持ちも一新されてたりする。
何かを手放したような、一抹の悲しさとともに、前よりずっと視界も頭もクリアになって、冷静に判断できたり、覚悟ができたりもする。
マナカードでもここ最近過度期というか、移り変わりの時期なんだなぁというカードがよく出ていました。
トートタロットでは、「ディスクのクイーン」がよく出ていましたが、これぞ、the「物見遊山」という感じ(笑)
クイーンが見晴らしの良いところにゆったりと座って、自分の領地を眺めている姿を表すカードだそうです。
眺めているのは、今までの自分の辿ってきた奇跡かも。
結果に満足のいく人もいかない人も、ここらでちょっと一息ついてゆったりしましょう、という感じの時に出るカードだそうです、が…
今日出たのは「星」のカード。
このカードは「希望」というステキな意味があり、人気のあるカードだと思いますが、場合によっては「夢想」を表すともf^ ^
マナカードは「ヒイアカ・イカ・ポリ・オ・ペレ」(だけじゃないけど)
不安や自分にとって大切ではない仕事や用事で消耗している時に出るカードです。

自分を大事にしましょう*
色んな声を聞いてしまう人、聴こえてしまう人は、自分の望みや大切なことが分からなくなったりすることは、よくあることですが、この台風が自分にとって必要のないことや、夢想・幻想を吹き飛ばしてくれるはず。
恐れずにちゃんと向き合って、落ち着いた後動けるように準備しておきましょう*

2016年9月19日月曜日

9月19日のマナカード*

雨の日が続いていますが
だからこそ気付ける
音、匂い、空気感が
あります
一色ではなく
幾重にも重なった
虹色のような
音や匂い、空気感が
あなたの内面に
光を当て
思いもかけない
色を引き出してくれます
どうぞそれを
恐れずに
表してみましょう
引き出した色に
共鳴して
また新たな色が重なり
他にはない
アンサンブルが
奏でられるでしょう

2016年9月18日日曜日

9月18日のマナカード*

自ら選んだにしろ
流れに任せたにしろ
迎えた転換期
新たな決断、道が
これで良かったのかと
思うことは
あるでしょう
そんな時は
あなたが純粋に
ワクワクするかを
大事にして
止まることない
あなたの好奇心や
創造力が
溢れて
滞りなく
流れてくれるなら
周りのアロハを
また感じられるなら
自信をもちましょう
誰にも気を使うことは
ありません

2016年9月17日土曜日

9月17日 魚座満月(半影月蝕)のマナカード*

あなたの中に残ってる
まだ手放せていないもの
心のしこり
まだ繰り返してしまうクセを
完全に手放してしまいましょう
もうふとした時に
力を入れてしまう必要は
ありません
微妙な距離感や違和感は
力を入れてしまうから
好かれようとか
ポジティブになろうとか
意志的にすることを超えて
あなたがあなたであり
そのままで
満たされていることを
もう感じられるはずです
感謝の気持ちや
優しい言葉は
自然に出てくるはずです
何度も過去に
引きずられそうになっても
もうそれは過去のことだと
あなたは分かってるのですから
いつだって
明るい未来は
目の前に開けているのです
力を抜けば
それが分かるはず

2016年9月10日土曜日

9月10日のマナカード*

自分のやる気、情熱、ALOHAが
どうするとキチンと
注がれるのか
パターンをつかまえましょう
どういう時にブレやすいのか
どういう時に滞るのか
答えは自分の中にあります
そして鏡である周りにも
自分が本当はどうしたいかは
自分の中の成熟した自分が
答えてくれます
今はまだ遠くても
他の誰かではなく
あなたらしい
あなたのエネルギーが
ずっと静かに
そのまま出ている姿
それを思い出し
静かに目指していきましょう

2016年9月7日水曜日

9月7日のマナカード*

あなたが自分に課している
過剰な期待
プレッシャーを
手放して
自由になりましょう
周りの状況は
変わらなくとも
心は自由です
今は確かに
変化の時
新しい波が
どんどんやってくるし
固定観念に
とらわれない方が
波に早く乗れるでしょう
ですがまずは
自分を整えて
自分を解放しましょう
それが真の自由です

マナカードとトートタロット両方ひくようになってから2週間くらい経ちました。
どちらも深層心理にアプローチするカードなのですが、マナカードとトートタロットのその日出たカードの意味が、微妙に違うように感じることがあります。
マナカードが提示する、いちばん良い状態は「ALOHA」=自分も周りも調和した愛、なのに対して
トートタロットの方は「汝の欲することを為せ」に基づいているそうな。
でも理想とするところが全く一緒ではないからか、全然反対のことを言われているように思う時もあるけど、混ぜて読むとなるほどね、と思うことも最近出てきました。

私自身、フラ、ヨガ、アーツセラピー、といろんなことを学んでいて、それぞれ求めるところは同じようでいて、少しずつ違うように感じる時もあります。
(多分アプローチの仕方が違うだけで、奥では全部一緒なんじゃないかな、と思います。)
でも同時進行で色んなことしてると、訳分からんくなるf^ ^
葛藤の強い私が、余計葛藤の強い状態を引き起こしそうになりますが> <
それも自分が自ら選んだことでなぜそうしたのか、分かってきた気がします。

占星術で、私の意識的に果たす社会的な役割は「天秤座」。
他者と他者をつなぐ、調整、パートナーシップ。
異質で交わらないもの通しの、それぞれの意見を聞き、落とし所を見つける。
これは意識的に使っていく方なので、生まれつき使える力ではありません。
色んな経験を通して磨き、やがて使いこなせるようになる力。
もう本当にまだまだで、常に壁に当たってますが> <
もっと進んで、あれこれ興味があるところ、色んな、時には相反する意味があるところを制限かけずに、自分流のセラピーをつくっちゃう、もう何でもあり、みたいな方向にいく人ですよ、という意味だったらおもしろいんだけど、そういう意味が含まれているのかは分かりませんがf^ ^

でも世の中は基本制限だらけ。
制限など最初からあるものとして、その制限をどう生かすか、自分なりにカスタマイズする。
そこは自分の自由なんだから。
今学んでいることが、そういう力を養って、周りに提供できるようになって言ったら良いな*

2016年9月6日火曜日

「生きているだけでまるもうけ!」

私が好きなマナカードの1枚に、「MAUI」(マウイ)というカードがあります。
意味は「トリックスター」。
ハワイの神話に出てくる半神半人の人気キャラクター。
その性格は、言ってみれば「いたずらっこ」「やんちゃ坊主」(笑)
好奇心旺盛ゆえに、いつも何か面白いことを思いついては、いらんことして怒られてしまったりもする愛すべきキャラ(笑)

マナカードで描かれているMAUIの姿は、かつて天と地は今よりもっと近かったけれども、そこをMAUIが持ち前の好奇心でえいっ!と空を持ち上げてみたことから、空と地は今くらい距離が離れることになった、というハワイの神話に基づいたイラストです。
私はこのイラストの「MAUI」を見ると、何となく明石家さんまさんを想像するんです(笑)
(さんまさんは、行動が新奇というより、おもしろいことを言って場を盛り上げる人なので、キャラクター的にはちょっと違う気がするんですけどね…f^ ^)
いつも明るいさんまさんの名言として知られるのが、「生きているだけでまるもうけ」ですが、これもまんま、「MAUI」のカードの意味と被るのです。
(それにしても、いつも明るく周りに笑いを提供するさんまさんの名言がこれ、というのが、彼の人柄の奥深さや語られていない人生のドラマを垣間見られて、興味深いですね*)

「MAUI」のカードは、どちらかというと、今悩んでいる人、困っている人、ちょっと思いつめたり考え過ぎになっている時に表れてくれます。
「そんな深刻な顔してないで、楽しもうよ!」と言って、あなたの中の遊び心を刺激してくれることで、新たな視点や良い意味でのいい加減さ、リラックスをもたらしてくれるカードです。
私たちは真面目であるべき、問題には勧んで取り組んで解決すべき、と教えられて生きてきたので、何か問題がある時、真面目にそれに向き合って答えを出そうとします。
でも真面目すぎる人は、真剣どころか深刻になってしまうことも多々あります。
深刻になってしまうと、視野が狭くなり、客観的な視点や新しい視点を見落としてしまいがち。
気分も落ち込みがちになり、自分が作った罠に自分ではまってしまうことにもなりかねません。

また「MAUI」のカードでは、自分がいちばんやりそうなことと反対のことをやってみましょう、という意味もあるのですが、これは難しい> <
だって、私みたいに葛藤の激しいタイプはAの道を選ぶのもBの道を選ぶのも、どっちも「らしい」選択なんですもん(笑)
この場合、多分MAUIさんは、「どっちを選んだっていいんだよー」って言っている、と捉えたら良いかな、と思います。
何ともお気楽、ですが、するだけのことはする、選ぶだけのことを選んだら、後は神の采配。
神様が、最適な結果をもたらしてくれるので、やるだけやったら果報は寝て待て、というくらい「運に任せる」気持ちも大事、と言っているようです。
努力すればなんとかなる、なんとかしなければ、という価値観で判断し行動しがちな現代人の私たち。
でもそのなんとかしなければ、が本当に大切なことなのか、自分の領域を超えてエゴになっていないか、もMAUIは問いかけているようです。
先日聞いた副住職さんのお話でも、今勉強しているアーツセラピーの話でも、「人生は、死ぬ時にやっと覚める長い夢を見ているようなもの」ということを聞きました。
そういった意識でいると、時には起こることも笑いにしつつ、思い切った冒険もしつつ、丁寧に真剣に楽しく生きられるのかもしれません。
(そう思ってもすぐ忘れちゃうんですけどね…)
このカードは大人気で、ひいた方にこのメッセージを伝えると、みんな「良かったー♡」と言います^ ^*

今転換期にある方、悩みや葛藤、苦しみを抱えている方、この言葉を思い出して、口から舌を出してテヘっくらい言う感覚で(ペコちゃん…f^ ^)生きても大丈夫!と思ってみても良いかもしれません☆(←時と場は選びましょう。当たり前かf^ ^)


「好き」と「向いている」は一緒じゃない

先日ヨガのクラスメイク自習をしていて、気付いたこと。
当たり前かもしれないけど、「好き」と「向いている」は必ずしも一緒じゃないってこと。
友人の家をお借りして考えたヨガクラスやり合いっこして、「(私)らしいのを作ってきたね」と言ってもらえました。

私はその時の自分の気分によるけど、ヨガとかフラとかやる時、割とアクティブに動く方が好き。
5リズムっていう5つのリズムに合わせて自由に踊るダンスワークがあるのだけど、それもどちらかというと激しい発散系のダンスの時が大好き。
でも自分が提供するとなると、難しいんやな。
逆に穏やか系、癒し系?と言われる風な方がやりやすくって、結局そうなっちゃいましたf^_^;
しかーも結構マニアック。
何かというと、ヨガニードラにしちゃいました。


セラピーとか勉強してて、受けたり、自分もマナカードやってたりして思うのだけど、みんなその人の内面にあるあまり使ってこなかった意外な一面を引き出したいと思う。
「もっとこうなれたら…こうなりたい、あんな風になりたい。もっと可能性を広げて新しい自分になりたい」という気持ちをサポートしたくなる。
あるシチュエーションで、今までできなかったことができるようになると、ずっと人生も楽しく豊かになる、と思うし。
自分の色んな面を知り、私はこう、というのにとらわれず生きていくのはとても楽しくてステキだと思う*
私もずっとそちらに意識が向いていました。
それに、常に成長しよう、自分の可能性を広げよう、またそういう人をサポートしようという意識はとても大事だと思う。
でもまだ使い慣れていない部分は、引き出して使うのは大変だし、要領、バランスが分からず、時に痛みも伴います。激しい部分は特に。
そういう経験を繰り返して成長していくのだとも思うけど。


自分が安心して提供できること、となると、今まで自然にやってきたこと
そうなりたいから、そうしてあげたいからとかじゃなくて、自分にとってはそういう振る舞い、やり方が当たり前、なこと。
自分が今までやってきたことは、好きじゃないし本当にやりたいことじゃない、と思うかもしれないけど、ある意味エゴに振り回されずできることだから、やっぱりその人に自然に馴染むのかもしれない。
こうなりたい、こうしてあげたいという強い思いが、人の心を動かし、人生を変えるキッカケになることもある。
けど、エゴに振り回されやすくもあるから、自分はともかく、人に提供するとなると、やはり自分がしっかりしてないと難しいですね。

今すでに自分がもってて使えるものは、当たり前過ぎて自分では気付きにくい。
けど、それに気付いて深めていく、もっと使いこなせるようになることも、とても大切で、そこをしっかりさせてこそ、また新たな面も引き出していける
、と気付かされました。
気付きを与えてくれてありがとう(*^_^*)*

9月6日のマナカード*

本当に望むもの
すべきことに
意識を集中しましょう...
自分に言い訳をしないで
あなたが何を求めてるか
どうある時に
自分が楽しめて
イキイキしているか
今ここに集中すると
エゴに振り回されず
もう過ぎたこと
今は必要のないことに
とらわれず
シンプルな自分に
戻れる瞬間を
つかまえられる
こともあるでしょう
少しでも
つかまえられたら
こっちのもの
その少しの繰り返しが
ワクワクする
新しい毎日を
連れてきてくれます
本当は
もうあなたは
変わっているんです*

2016年9月3日土曜日

9月3日のマナカード*

普段ついしてしまうこと
クセやこだわり
それらと逆のことを
してみても良いでしょう
また、やった方が良いと思うけど
できなかったことを
いつもの考えとは
違うことなどを
やってみたりも

体はゆっくりしていても
頭が忙しかったり
意識はなかなか
変わらなかったり
しやすいものです
何か無心になれること
リラックスできること
自分はこうというのを
ゆるめられるもの
ゆるめることで
手放せるもの
あるいは
拡大できること
意外だけどちょっと魅かれる
面白そうと思う誘いには
のってみるとか
意外性、ユーモアが
今の助けになります

…わたしはちょっとながら族で、歯を磨きながらまだ読めていない本を読んだり、ごはん食べながら録画していた映画を観たりとか、ついしてしまっていたのですが、今意識的にそういうことを止めようとしていってます。
食べながら映画観てしまうのは、HDDのDVD機能がおかしくなったのを機に、別に録画はできるんだけどもういいわーと思って、あまり観なくなりました。
自分からあまり手放せない、習慣を変えられない人は、自分の意志とは違うことで起こることの力を借りるのも手かもです。
イヤだけど。ショックだけど> <
何か大きな力にゆだねる、というのは受動的で消極的なようでいて、しんどいときはなかなかできない。
それを受け入れられるようになると、自分の器も大きくなるのでしょう。
逆に今まで思いもよらなかった、できなかった、ニガテだった、手放したつもりだったことから、思わぬALOHAを受けることもあります。

「自分」を手放すというのは、難しいです。
先日お聞きした副住職さんのお話で、慈悲の気持ち、「自分」を捨て周りを大切にする心、それが素晴らしいしのは分かっても、心からその境地になるのは難しいよなぁ、ってやっぱり思っていました。
人からそうした方が良いと思ってやってる間は難しいのかな、と思います。
ただ素直にそうした方が、変化もその意味が分かるのも早いという側面もあります。
最近やっとそう思い出しました。
頑固だなぁf^ ^
でも難しくても、多分その人に最適なタイミングで、その意味が分かる、自分を手放そう、と自然に思える時が来るし、今ちょっとそのタイミングかな。
まだまだですが> <

それを思うと、今受け入れられない、理解できないものを受けても、それは今使えないだけで、潜在意識には入っているのがその人にとって最適なタイミングで分かる、使えるようになるから、今聞いても意味がない、やってもしかたがない、分からない、そう思えない私はダメだ、ということはないと思います。

逆に手放したものもまた必要なタイミングで自分に巡ってきたりする。
手放してもお別れじゃないし、手放せなくても手放せても、なんでもよい。
一見うまくいってる時にそれを楽しみ切れてなかったり、意味が分からなかったけど、辛い時の方がALOHAの意味がよく分かったり…。
起こることのすべてに意味があるけど、それを理解しなくてもよい。
なんでこうなったとか、もっとこうしてればとか、現実には表面には、色々あるけど、それらもすべて含めて意味のあるALOHAで、その流れに安心してのりつつ、今を楽しみ懸命に生きましょう…ということでしょうか。

今日は文章短くするぞー、そして面白くしようと思ったのに、長くなったし、マジメです> <
つい書いてしまうのも、我なのかなぁ、執着なのかなぁ、と思ったりしますが、書くことで表現するのが好きなんだろうな、やっぱり。
書いちゃったことを後悔することもあります。
そういう意味じゃなかったのに、とか。
それが良かったのか悪かったのか、表面に出ることだけでは判断できない。
自分をジャッジしない。しかたのないことはしかたのないこと。
でも自分や周りで起こっていることを客観的に観るのは大切。
今からできることに意識を向けて、頑張りましょう*

2016年9月2日金曜日

9月2日のマナカード*

ひとつのテーマを終えたら
まずは自分に
「お疲れさま」と
少しの癒しと安らぎを
与えましょう
今周りに自然に
感謝できる
あるがままの
あなたを
受け入れましょう
またすぐに
忙しい日々が
やってきます
いつも次のテーマは
目の前にあります
「なりたい自分
あるべき姿」
に向かう道を
ゲームのように
楽しんで

昨日出ていたトートタロットも、ヨガのティーチャートレーニングで引いたタロットも、最後の完成された状態を表す「世界」でした。
確かに卒業っぽい気持ちの淋しさを感じていたけど、ここしばらくは、自分のイヤなところを見つめてしまう期間で、反省ばかりで「えー、これで完成!?それはイヤ!こんなダメダメな自分> <」と思いましたが…f^ ^

ヨガの講座のシェアの時間で、「あなたが人生でいちばん大切だと思うことは何ですか?」の質問に対して、いつも考え過ぎる私がすぐに思ったことは、「愛情と思いやり」でした。
私の周りにはいつも「愛」があふれていました。
色んな、その人その人なりのやり方で、時々は分からない、厳しく思える、冷たくも思える方法もありましたが、自分のやり方で自分を認め、懸命に生きながら、人にも愛を与えようとするその人たちの姿のなんて美しいんだろう。
自分を守る方に集中してしまう、でも自分の気持ちがついていかないときでも、人に合わせようとしてしまうクセガ抜けない私には、そのことがなかなか気付けなかった、気付いても素直になれかった。
そのことが一気に自分の胸にあふれて、いっぱいになって、またも涙目になり、端からみると「大丈夫か?」な人にf^ ^

帰りはやりたいことあるしすぐ帰りたかったけど、なんだかホッとしたくて、よく行ってたてたごはん屋さんに久しぶりに訪れて、懐かしい笑顔たちに(といっても1ヶ月ぶりくらいf^ ^)満たされた気持ちになりました*

こんな風になりたいな、うらやましいな、あこがれるな、と思える人たちが、本当にたくさんいます。
その時、自分に自信がないことを認めたくない、隠そうとすると、つっぱってしまい、相手の愛情や素晴らしさを素直に感じられない。
でも学びや成長のペース、その時何を学ぶかも人それぞれ。
憧れても私はまるまる他の誰かさんになれないし、逆に他人はまるまる私にはなれません。
(あ、なりたくないですか?f^ ^)
またホロスコープの話?と思われそうですが、自分なりに調べて分かってきたのが、私は「愛と楽しむことをしっかり感じ、自ら愛し人にも愛される、自ら楽しみ、人に生きる楽しみを提供する人」になりたい、そうなる役割があるのかなぁ、と思います。
長い間、その学びをずっとしていて、やっと少し、自分を大切にし愛すること、周りの愛に気付き、周りの人たちを愛すること、の学びの一段階を終えた?のかもと思います。
私はなんて素晴らしい人たちと関わってきたんだろう!長かったけどそれに気付けた私も素晴らしい!
と今、すごく感慨深い気持ちでいます*

さて、季節は移り変わって9月に入りました。
秋の訪れとともに、楽しいけどいろいろざわついた夏の余韻に寂しさを感じつつ、気持ちは落ち着いて頭もクリアになってきた、新たなやる気も湧いてきた気がします。
9月はおとめ座の月。
コツコツ地道に努力する、自分のこうなりたい、こうありたいの下地をつくるのに最適な星の力を与えられる月。
ニガテだけどどうやって関わったら良いか分からなかったこと(特にコツコツ作業系、段取り系)に対するアプローチがうまくいきやすいんじゃないかと思います。
新たなテーマとともに、秋の訪れを楽しみましょう♡

(これはマナカードのブログ?タロット?占星術のブログ?f^ ^)