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2016年9月24日土曜日

「謙譲語」、間違って使ってませんか?

昨日(9月23日)のマナカードですが、ひいた時はピンとこなかったけど、後になって気付いたことがあったので投稿してみました。

昨日のメッセージにはあまり含まれていなかったのですが、実はひいたカードの中に「IWI」(イヴィ)というカードがありました。
意味は「尊重」。自分も他人も尊重しましょう、という意味です。
私たちが普段使っている日本語で、相手への敬意を表すために使われる用法の一つに「謙譲語」というのがあります。
皆さんご存知と思いますが、「謙譲語」は自分を下げることで相手を敬う気持ちを表す用法。
正しくは、自分を下げるといっても自分の価値を下げてる訳ではなく、自分の行為を下手に置く、一歩下がる、ということだと思いますが…。
これ多分外国人とかには理解しづらい用法だと思います。
(と言っても、どこの国でも上流社会では使っていたんでしょうね。19世紀のイギリス貴族社会の文学とかに触れると、本当に普段の会話がそんな感じ…)
相手を敬ったり、引き立てるのに、なぜ自分を一段下げないといけないのか?と思う人も多いかも。
もちろん、「自分は若輩者で、あなたの足元にも及びません。」と思っている時は、自然と本気でそんな態度になるでしょうし、出会う人や起こる物事はすべて自分の師匠なのだから、いつもそんな心持でいましょう、という教訓かもしれません。
でも私たち日本人は、日常的にこの「謙譲語」的な言動、態度が染みついていたりしますね。
現代の一般人の私たちにも染みついているこれが日本人特有の文化だと思うし、「日本人はなんて謙虚な人たちなんだ!」と海外の人に感嘆される所以でもあると思います。

でも心から自分は大したことがない若輩者でして…と思っているというより、もう習慣・文化として染みついている。
もっと言うと、それが社交辞令、処世術だからやってる(しかも染みついているのでやってる時はわざわざそこまで考えていない。クセになってる)場合も多々あります。
そして、相手を立てることは自分を下げること、と思いこんでしまって使っている人もいると思います。
この考え方は自然なようでいてとても不自然です。
なぜ相手を立てるのに自分を下げないといけないの?
逆も然りです。
この不自然なことを自然にしてしまう私たち。
元々はそういうつもりで生まれた文化ではなくても、「つい人と比べて、自己を尊重できない」「自己を尊重できないから他者も尊重できない」ということにも繋がりやすく、場合によるとALOHAとはほど遠くなりやすいという危険性を秘めているように思います。

本来人の個性はみんな違うし、個性が違うと発揮できる場所も違うので、比べらるものではないと思います。
でも私たちは比較対象が欲しくて、この部分はあの人に負けてる、勝ってると比べてしまうのですね。
そういう形でプライドを保とうとしてしまいやすい社会なのかも。
尊重するというのはプライドも大きく関係しています。
相手を立てるために自分を下げるような発言をしてしまった時、モヤモヤしてしまうのは、その行為が自分で自分のプライドを傷つけているからかも。
また相手に好意をもっていたり、気に入られたい気持ちがある時も、無意識に自分を下げるような発言、行動をしてしまうのもありがちです。
でもそんなあなたの振る舞いに、果たして相手は本当に感謝したり好意をもってくれるでしょうか?

プライドが高いと言われがちな人は、実は自分のプライドを傷つけてもいます。
頭では分かっていても、「本当のプライド」を保つことは難しい。
いかに自然体であるか、素直であるか、今の自分を過大評価も過小評価もせず、ただありのまま認めて、それを尊重できているか。
あなたは自分にちゃんとしたプライドをもっていますか?
あるいは必要のないプライドで自分を守っていませんか?
と問いかけているカードでもあります。

あなたも素晴らしく、私も素晴らしい
Win Winの関係、意識をいつも持てると良いですね♪

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