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2016年9月3日土曜日

9月3日のマナカード*

普段ついしてしまうこと
クセやこだわり
それらと逆のことを
してみても良いでしょう
また、やった方が良いと思うけど
できなかったことを
いつもの考えとは
違うことなどを
やってみたりも

体はゆっくりしていても
頭が忙しかったり
意識はなかなか
変わらなかったり
しやすいものです
何か無心になれること
リラックスできること
自分はこうというのを
ゆるめられるもの
ゆるめることで
手放せるもの
あるいは
拡大できること
意外だけどちょっと魅かれる
面白そうと思う誘いには
のってみるとか
意外性、ユーモアが
今の助けになります

…わたしはちょっとながら族で、歯を磨きながらまだ読めていない本を読んだり、ごはん食べながら録画していた映画を観たりとか、ついしてしまっていたのですが、今意識的にそういうことを止めようとしていってます。
食べながら映画観てしまうのは、HDDのDVD機能がおかしくなったのを機に、別に録画はできるんだけどもういいわーと思って、あまり観なくなりました。
自分からあまり手放せない、習慣を変えられない人は、自分の意志とは違うことで起こることの力を借りるのも手かもです。
イヤだけど。ショックだけど> <
何か大きな力にゆだねる、というのは受動的で消極的なようでいて、しんどいときはなかなかできない。
それを受け入れられるようになると、自分の器も大きくなるのでしょう。
逆に今まで思いもよらなかった、できなかった、ニガテだった、手放したつもりだったことから、思わぬALOHAを受けることもあります。

「自分」を手放すというのは、難しいです。
先日お聞きした副住職さんのお話で、慈悲の気持ち、「自分」を捨て周りを大切にする心、それが素晴らしいしのは分かっても、心からその境地になるのは難しいよなぁ、ってやっぱり思っていました。
人からそうした方が良いと思ってやってる間は難しいのかな、と思います。
ただ素直にそうした方が、変化もその意味が分かるのも早いという側面もあります。
最近やっとそう思い出しました。
頑固だなぁf^ ^
でも難しくても、多分その人に最適なタイミングで、その意味が分かる、自分を手放そう、と自然に思える時が来るし、今ちょっとそのタイミングかな。
まだまだですが> <

それを思うと、今受け入れられない、理解できないものを受けても、それは今使えないだけで、潜在意識には入っているのがその人にとって最適なタイミングで分かる、使えるようになるから、今聞いても意味がない、やってもしかたがない、分からない、そう思えない私はダメだ、ということはないと思います。

逆に手放したものもまた必要なタイミングで自分に巡ってきたりする。
手放してもお別れじゃないし、手放せなくても手放せても、なんでもよい。
一見うまくいってる時にそれを楽しみ切れてなかったり、意味が分からなかったけど、辛い時の方がALOHAの意味がよく分かったり…。
起こることのすべてに意味があるけど、それを理解しなくてもよい。
なんでこうなったとか、もっとこうしてればとか、現実には表面には、色々あるけど、それらもすべて含めて意味のあるALOHAで、その流れに安心してのりつつ、今を楽しみ懸命に生きましょう…ということでしょうか。

今日は文章短くするぞー、そして面白くしようと思ったのに、長くなったし、マジメです> <
つい書いてしまうのも、我なのかなぁ、執着なのかなぁ、と思ったりしますが、書くことで表現するのが好きなんだろうな、やっぱり。
書いちゃったことを後悔することもあります。
そういう意味じゃなかったのに、とか。
それが良かったのか悪かったのか、表面に出ることだけでは判断できない。
自分をジャッジしない。しかたのないことはしかたのないこと。
でも自分や周りで起こっていることを客観的に観るのは大切。
今からできることに意識を向けて、頑張りましょう*

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